Labels

hotel (64) android (47) mac (46) ubuntu (27) English (8) travel (6)

Sunday, May 21, 2017

誰に吹き込まれたのだろうか

安倍首相が日経ビジネスのインタビューで「生産性向上と人づくり」をやるという。まあ、それはいい。

 しかし、いただけないのは

>「製造業の有する生産性向上ノウハウをサービス業や地方の中小零細企業にも活用し、人材不足の解消などにつなげていきたい」

このくだりだ。一体誰に吹き込まれたのだろうか。

日本の大手製造業は、重層下請け構造になっていて、面倒を下請けに押しつける、という仕事になっている。自社は組み立てラインしか持たず、細かいモノは全部仕入れる、などしている会社もあるし、極端な会社では生産まで外注していたりする。責任逃れをしたいヒラメ社員が横行する大企業で、巧妙に責任を逃れられる仕組みを作って仕事をしているのが実態だ。一方で、サービスや販売は、下請けに出せず、面倒を自社で引き受けるのが前提の現場仕事だ。一体、だれがサービス業や中小企業にノウハウを伝授できるというのだ。そんな人がいたとしても、非常に限られた人材だろう事は想像に難くない。基本的には経営コンサルティングの領域だからだ。

大手企業の人間が中小に移籍すると、まず、仕組みかが未熟で属人性の強いオペレーションに驚くだろう。そして「だからダメなんだ」と合点して、改善を図ろうとするだろう。しかしである。それが上手くいかない事が多々ある。中小企業が大企業と同じ仕組みを入れると「過剰装備」になって、管理コストが膨らみ、中小企業ならではの長所である機動性を失って、失速してしまうのだ。製造業の生産性向上は「スケールする」ポイントを見つけてそれを仕組み化することで達成される。そのポイントが的外れなら、むしろ逆効果だと言う事だ。

さて、一体誰に吹き込まれたんだろうかね。それが気になる。おおかた、大企業の集まりの団体さんに聞いたんだろう。「自分たちはエリート」「中小は単なる下請けで、オレらの言いなりで部品作ってるだけ」という「大企業の奢り」を感じるもの。実際のところ、下請けなどの会社に失敗や判断ミスの尻ぬぐいまでしてもらっているケースが結構あるだろうに、見えないというのは恐ろしいなぁ。

Sunday, May 7, 2017

スポ根な人たち

スポ根な人たち、というのがいる。どこにでもいるのだが、学校だとやはり体育教師、会社だと営業マンのイメージがある。

個人的には勘弁願いたい種類の人たちだ。私は「無駄に頑張る」のが嫌いなタチだからだ。

スポーツや武道など何か「手に技」を身に付けるには、繰り返しの練習が必要だし、その意味では「根性」がないと続かない、という面も確かにあって、根性が必要な場合もあることは否定しない。繰り返しの訓練は苦痛を伴うので、根性入れないと挫折してしまいやすいからだ。そして、ある時、それまで鍛えた要素が結びついて、ぱっと世界が広がるような、ワンランクアップしたような臨界点を迎える事がある、という事も否定しない。

しかし、手段と目的を違えてはいけない。目的は技の習得やその維持向上なのだから、キチンとした正しい方法・メソッドで行わなければならない(細かい教授技法ではなく、方向性、などのレベルで)。ところが、そのようなレベルの指導者がおいそれとはいないので、「選手としてそこそこ実績を上げた人」が指導する事になる。コレが問題で、たとえ優れた指導者の下で実績を上げた選手、であっても指導者として優れているとは限らない。指導者の深謀遠慮を露とも知らずに、敷かれたレールの上で「頑張った」記憶しかないと、「頑張った」=「成功した」という成功体験にすり替わってしまっているので、生徒や後輩にも(闇雲に)「頑張る事」を強いるのだ。「体育会脳」などと揶揄されるのは、スポーツ経験者の多くが「頑張って成功した」という経験しかなく(正確には、記憶になく)、そういう人たちが社会でひたすら「根性入れろ」「頑張りが足りない」「努力しろ」と声高に主張し、他の人にも強いるからだ。これを「裸足の美学」と言った人がいるが、うまく表現したモノだと思う。

精神力を使うのは「ここ一番」にとっておくべきで、普段から精神力全開では持たないだろう。

しかし、スポ根は幅を利かしていて、ちっとも減らない。日本人は何でも「頑張る事」が好きなのかも知れない。

なお、一点だけ補足したい。意外かもしれないが、私は松岡修造さんのファンだ。以前はこのスポ根系のムダアツな人だと思っていた。が、あるテレビ番組で指導しているシーンを見て考えが変わった。この人は、必要な根性をキチンと計算して使っている。無駄に頑張らせるのでは決してない。それを見て取ってから、ファンになった。スゴイ人だと思う。






ナウルの話は平和ボケした日本人への警鐘か

ナウル:世界一の贅沢に溺れた国の結末

これを読んで、多くの人は「自分は働いているから関係ない」と思うだろう。しかし、それでいいんだろうか?。

一度正社員で就労すれば余程の事がないと解雇されないように守られている日本の労働者。それ故に、保守的で冒険しない。リスクが低いのだから挑戦すればいいのだが、失敗すると挽回が難しいので事なかれ主義に前例主義が横行。

高度成長期なら、「あの方法で上手くいったぞ!」に倣うのもアリだろうが、成熟経済下は「答えのないところで答えを見つける」事ができないと付加価値を主張できない。つまり、「リスクを取って挑戦する」事が必要・・・・なのに、そんな人が見当たらない!。

日本人は確かに働いているので、ナウルの人とは違う部分もある。しかし、リスクを取らない行動パターン、リスクを忌避する気質は、挑戦せずに安定を指向し、売上の責任よりも連休の遊びの予定ばかり気にしているようでは、「ジリ貧」である事には変わりがない。一時は世界のGDPの20%にもなった日本経済は、現在、5%程度だそう。日本の付加価値は、どんどん低下しているのではないか。

ナウルのケースを読んで身を引き締めることができないようでは、10年後、20年後の日本が心配だ・・。別に「仕事の鬼になれ」と言っているのではない。ただ、自らの市場価値を意識して、日々向上する「何か」がないと、いずれ参画している事業が陳腐化してしまうと、全く何の付加価値もなくなってしまう恐れがある。その時に何て言うのだろうか。「会社のために身を粉にして働き、捧げてきたのに」とでも言うのだろうか。

先日、あるところを通りかかったら、ユニオンの人達がビラを配っていた。幟が立っていて「不当解雇」が云々と書いてある。みんな50代〜60代と思しき人達だ。彼らを見ながら、日本の労働運動は確かに労働者全般の生活水準を上げたのだろうが、人が「自分のアタマで考える」「自分のキャリアに自分で責任を負う」事を全くしなくなった・・・その弊害を見た気がした。